江戸時代の医療

荒れつつあった江戸時代の医療

戦場での医療システムが確立されるようになったことで、そこから多くの国々が医療システムを導入すると共に、熾烈な国執り合戦が行われるようになっていった。そうした中において次なる日本医療の転換期となっているのが、徳川家が天下を統べることになる江戸時代にて巻き起こった。また江戸時代は医療と言う分野において革命的ともいえる進化を遂げようとしていた時期でもある。それが長崎などの限られた異国との交流文化を築き上げていた開港都市にてその文化を伝えてきたオランダ医療の『蘭学』などである。蘭学の台頭によって、それまでの日本には見られなかった、全く新しい医療の形が提示されることになるが、当然その内容は当時の幕府としては容認することはできないものだった。異国文化の新たな技術と言うこともあるが、そもそも根本的な部分で相容れない性質だったことも大きく影響しているだろう。

現代の状況を考えたら昔の話でしかないわけだが、当時の医療としてはまさかこのような形が存在しているとは、驚愕する医師たちもいたかもしれない。とはいえ、日本人の中にも真面目に医療に従事したモノであるなら、それまでの日本で伝来していた東洋医療にはない何か、人体を解剖することが新たな医療を生み出すことになるのではと考えていた人もいたかもしれない。実際に江戸時代後期においては麻酔を使用して乳がんの切除に成功したという、医師の実例も存在しているほどだ。江戸時代においても日本医療は目覚しいまでの進化を遂げることになる。

しかしそうした進化の反面、裏に潜んでいた危惧すべき事態、そして猶予してはいけない問題なども噴出することとなる。それではここからは主に江戸時代に焦点を絞って、中世後期から近代に差し掛かるまでの日本医療について考察していこう。

この時代の医師とは

調べていく中で筆者が思った事は、この時代の人々からすれば医療に従事する医師とは次のように表現できるのではないだろうか。

  • 収入面で非常に稼ぎのいい仕事で、誰でも簡単になれる
  • 医師に対して支払う謝礼は薬代だけだが、表向きは無償奉仕をすることが当たり前

内容を見てみると今の医師とはまったく持ってかけ離れた姿だといえるが、資料を見ていく中で思った印象としてはこちらで間違いない。何故か、それは当時の人々にとって医師とは知識などなくても誰でも簡単になれるという風に安易に思われており、また医療を行使して怪我を治すことが当然のことであるとそう見られていたという。物凄い尊大な態度を示していることが理解出来る、無料奉仕にしては時としてやらなければならないこともあるので良いとしよう。ここで問題にすべきは前者だ。

現代の日本で医者の肩書きを手に入れるまでの道のりがどれほど困難なものかは、言うまでもないだろう。国家資格たる医師免許の制定、そして医師として活動を始めても患者から信頼を得ることが出来なければ、まともに仕事をすることも出来ないなど、なってからも大変な仕事となっている。それほど過酷な仕事を江戸の元号にて生きていた人々は、医療というものがどれほど重い仕事をすることになるのか、やはり理解していなかったのだろう。そしてそうした風潮を幕府が早急に取り締まらなかったために、簡単に誰もが医師として名乗りを挙げるようになってしまう。

それが何を意味しているのかというと、医療そのものの行為のレベルが著しく低下していることだ。まともに知識を持たないもの、また偏った知識によって患者に間違った処方をもたらしてしまうもの、さらにあえて負担を掛けることになる医術だと知りながら、その処方を望む患者の治療を施すなど、人道的に問題ばかりが起こるようになってしまう。

特にこの頃問題となったのが、堕胎についてだ。

今でこそ日本の刑法において『堕胎罪』というものもあるが、正式に日本で堕胎が犯罪行為であると認められるようになったのは、明治時代のことだった。江戸時代においては規制の対象外だったこともあって、街では堕胎の風習が出来てしまうなどの悪習が広まっていたという。そして堕胎を行うために処方する薬にしても、当然幕府が認可していないようなものを中心とした違法薬が裏取引によって取り交わされ、まさに無法状態となっていた。

日本の歴史において、天下一を果たした徳川幕府300年近くの安泰した世の到来でありながら、医療においてはもはや誰ともつかない者が医療に従事しているという混沌とした様子をかもし出していた時代でもある。闇に魔物が潜んでいるとはいったものだが、こうした事実をキチンと把握しておくのも大事なことだろう。

宗教活動だったからこそ

この時代において医師の活動において、金銭的な取引は行なわれていなかったというのは、言われれば何となく理解出来る部分もある、先に書いたように、元は仏教から伝来し、僧侶達が僧医として医療を行なっていたところが、その原点となっている。仏教徒において弱きものを救うことを大義名分としていただけに、人に対して無償で働く事は当然のこととして見ていただろうといえる。

そうした体制の中で誕生した宮廷医師の地方における医療活動での診療代徴収、これもほんの地方で行われていたことでした。当然、従軍医師や僧侶たちなど持ってのほかだ。そうした歴史があるからこそ、医療を行なうものが金銭などを要求する事は異常なことのようにとられていたのかもしれない。

また、当時医師のことを『薬師』と呼ばれていたことも影響している。そのため、謝礼をするにしても薬代だけ支払うのが一般的だった。現代のように診察してもらった代金と、処方してもらった薬の代金の二種類支払うというわけではなかったということだ。この薬代を支払うというのも、江戸時代の日本において東洋医学、つまり漢方を中心とした処方が中心となっていたことも強く起因しているだろう。

ただ一言言えるとしたら、江戸が幕開けした当初においては医療業界を包み込んでいる状態はあまりよろしくないものだったということは十二分に理解出来る。

日本の医療史の始まりは・・・。

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