蘭学の普及と日本医療の進化

オランダとの国交400年の歴史

そうした中で日本医療に歴史的改革を促すことになったのが、『蘭学』の存在である。江戸時代において蘭学は長崎などの限られた開港都市でのみ来日を許されていたわけだが、そうした地域では医療に関する技術は幕府管轄地域の中でも随一だった事は間違いない。そして後に蘭学が日本全域において容認されるようになると革命的な出来事を引き起こす火種を生み出すことになる。そうした引き金を引いたのも、やはり徳川吉宗の存在だった。彼が執り行った施行によって医療に従事していた人々に新たな知識を与えることとなり、そして日本医療の更なる発展を促すことになる。

とはいえ、輸入されてくる知識はどれも非常に重宝するものであったことに変わりないのだが、如何せんすべての書籍に記されているのがオランダ語ということもあり、それらの翻訳に時間を要することになる。そうした経緯もあってオランダ語を学ぶ日本人も増えるようになって行くと共に、日本とオランダの間で多少なりとも衝突を行うことはあったとしても。現代までの400年以上もの歴史においてオランダと日本は古くから国交を行うようになった。

オランダの、特に蘭学によって日本医療を行うことになりますが、ここではそんなオランダから伝わっている蘭学と日本医療との関係と進歩について考察して行こう。

吉宗はどうして蘭学を推奨したのか

三代目将軍である『徳川家光』によって日本は鎖国体制を取ることになった、しかしそうした中で例外的にオランダと中国などの国との国交だけは許されていた。日本とまだ良好な関係を形成していた国との関係だけは蔑ろにはできないと判断した結果なのかもしれない。とはいえ、当時の風潮としてはそれでも宗教的な面では受け付けることはできないところが多くあるものの、オランダから提供される知識は非常に興味深いものが多かったということが理解出来る。そして特にオランダから提供される知識について非常に興味を示したのが、当該の吉宗公なのだ。

吉宗公はオランダから伝来する知識が、今後の日本において必要不可欠なものであると見極めた上で協力的になって行く。特に物流を重点として力を入れていき、異国で誕生した一品についても認める動きを見せ始める。そんな中で、オランダ語で記載されている洋書も後の解禁されることになるが、吉宗公もキリスト教だけは認められなかったので、キリスト教に関係のないものだけとなっている。

当然ながら蘭学はキリスト教と深い関係があるものではないので、その中でも特に影響力を持たないものが広く流通していくこととなる。こうした機運の中で徐々に蘭書が日本で広まっていくことになりますが、そうした中でも特に今の日本において必要とされるものだけが強力的にその範囲を延ばしていった。そうした中で特に日本医療に革新的とも言える情報をもたらした蘭書となったのが、後に杉田玄白が翻訳したことによってそれまでの日本医療にはなかった新しい知識をもたらす『解体新書』の登場だ。

解体新書を翻訳したことによって、日本で蘭学の権威となった杉田玄白は幕府へと出仕することになり、多くの師弟を持つことになる。また解体新書同様に医療に関して必要な知識を記載している書籍は、数多く日本語訳されていくと共に、医療の現場では全体的にその技術が進歩して行くことになるのだった。

蘭学の発展と、日本医療の繋がり

封建体制を取っていた日本を考えると、オランダと国交を築いていることだけでも大きな前進でしたが、それでも日本としては自国優先として他国の文化を輸入する事は穢れていると見なされている傾向にあった。そうした中で蘭学の発展によって、治療することが出来ないだろうと考えられていた症状にもある程度兆しを見出せるようになる。特に封建的だったのが幕府直轄地である江戸の街だが、そんな江戸においても蘭学は将来的に日本で必要な学問だと認められることになる。杉田玄白の功績も大きいが、それ以上に江戸においてある大きな流行病が江戸の町を侵食したことによって、蘭学の重要性を理解するようになる。その事件というこそ、『天然痘の流行』だ。

江戸の街で天然痘が広まった際には、東洋医学の中心的処方である、漢方など効果を示すことはなかった。そうした中、江戸に在住していた蘭学者らが有志を募って天然痘感染患者の治療所を建設するなど、尽力した歴史を持っている。この動きはそれまでの歴史において多くの医師が集い、そして社会奉仕をしたことはないとまで言われている日本医療の一幕として語り継がれており、撲滅こそ出来なかったが患者に対して誠心誠意を見せる姿勢が引き継がれるようになった。技術的にも進化することになったら、同時に患者に対する取り組みなどの見方も改めて見直されるようになった、という意識改革を引き起こすことも成功した。当時の江戸からすれば一大事だろう、蘭学などと異国の医療を学んでいる人間達の献身ともいえる活動には脱帽させられたということなのだろう。

幕府倒幕と、明治維新における西洋医療の導入

その後徳川幕府が倒幕され、大政奉還と共に明治維新が巻き起こると同時に日本は新たな歴史の一ページをめくる事となる。そうした中で日本医療もまたそれまで邪険にされていた医療としての技術、『西洋医学』というものが広く知れ渡るようになる。それまでも日本以外の地域で西洋医学と東洋医学が交錯する事は度々あったのかもしれない。しかし日本では蘭学としてのみ、具体的な技術は導入されることはなかった。こうした歴史的動きによって、現在の日本医療に繋がるページを刻むことになるわけだが、当時の人としては複雑な心境だった人も多かったのかもしれません。ですが結果として良い方向へと転じたので、特別悪いことばかりではないだろう。

日本の医療史の始まりは・・・。