病院建設と医師養成

酷い有様だった

日本医療の歴史を見てきたので既に理解していると思うが、とにかく江戸時代までは医療はすさんでいた。古代の日本では聖徳太子や光明皇后によって西洋で言うところの、救貧施設が建設されるなど医療に対して前向きな姿勢を見せていたが、時の権力者などによって医療は軽んじた存在であると見られており、医療に従事する僧侶達も劣悪な環境において治療をしなければならないという、衛生面で悪影響は免れないようなところで治療を行わざるを得ない状況だった。医師は何度も話をしているので割愛しているが、特に今で言う所の病院施設は江戸時代、徳川吉宗が建設した小石川療養所という施療機関があるくらいで、まともな治療を受けさせることが出来る施設はほとんど存在しなかった。例外として長崎などの開港都市においてはオランダとの国交によって、医療とはどのようなものなのかが伝来していたこともあり、病院の原型となっている施設は存在していたものの、肝心の政治を行なう中心地だった江戸では悲惨だった。そうした中でようやく病院というものが普及するようになったのも、明治に入ってからのことだ。そこまでに至るまで多くの犠牲を払うことになったのは言うまでもない。

病院だが、明治政府が誕生したことによって医療業界に切り込んでいった対策でもある医師について、この問題についてもどのようにしたらいいのかと思案されていった。病院と医師の存在、現代に住む私達からすればどちらも体勢が整っている事は当たり前のこととして認識している、しかしこれが江戸時代までにおいてはまるでなっていない状況だった。だからこそ江戸では様々な感染症やら病気やらが大流行していた、考えたくもない状況だ。

ではここからは、そんなカオスな時代だった日本医療において病院と医師、それらをどのようにして改革していったのかについて、考察して行こう。

加速度的に増えた病院建設

江戸時代にはまともな医療施設は存在していなかった、この一言がどれほど怖いことなのか想像したくもありませんが、実際に治療していた人々がいたことを考えるとろくでもなかったことだけはいえる。明治政府も由々しき事態として早急に取り組みを始めていくと共に、全国でも病院建設は幕府崩壊後に巻き起こった明治維新後にあちこちで建設されていくようになる。戊辰戦争時においては傷病兵を収容するために、横浜と大阪、そして京都の三都市に病院が設立されていった。そうして次に江戸にも病院が建設されるようになり、さらに西洋式医学を学ぶための医学校などの建設も引継ぎと共に急ピッチで進められていった。

こうした病院建設において際立っていたのが、民間病院の建設が推し進められていったことだった。今で言うところの私立病院に該当するところだが、一時期は官立病院の割合の方が多かったが、経営が立ち行かなくなったことによっていつしかそれぞれの比重が逆転するようになってしまうのだ。これによって中世において見られていた医療は民間を中心とした体制が蘇り、これによって現代医療の中心的存在として確固たる物とした。

病院建設に関してはこの頃の政府も元々の理念として、『清貧の患者を救うための医療施設』としていたが、当然そうした人々を収容してもそれに見合うだけの利益を上げることはできないために経営状況が圧迫するようになってしまう。これが官立病院が減少することになる原因なのかもしれません。理念としては間違ってはいませんが、理想と現実はまるで違うものだと突きつけるように、状況は切羽詰ったものとなっていた。だからこそ、診察料というものが生まれることにも繋がり、私立病院の設立を助長するようになったということなのだろう。現代の病院でも利益優先を目的とした病院は少なからず存在している、そうした状況を踏まえて考えると理念を考えた人からすれば現代医療をどのようにして見ているのだろうと、心なしか杞憂してしまう。

医師育成の推進

明治政府が一部からは画期的な取り組みだったと称されている医師は、まず当然行なわなければならないものだと考えてしまうのは筆者だけだろうか。人の命を軽んじた、利益優先で違法医薬品を当然のように流通させているやぶ医者の存在を、放置していた幕府の方がどうかしていると思ってしまう。そしてそう思っていたのは明治政府の中心となった人々も同様だったようで、真っ先に医療の中でも医師について規制を張るようになった。医制という構造形成を進めている中で医師の養成はどのようにして行なわれていたのかというと、先ずは医療を学ぶために必要な教育環境の整備、そして医師として活動するために必要な免許の制定という、二本柱を軸として展開していく事になる。

明治政府から設立された、そこまではいいだろう。気の毒という言葉を使うのはお門違いなのかもしれないが、江戸時代までの時間軸に存在していた人々が哀れで仕方ない。中には名医と呼ばれる人もいたのかもしれない、だが大半がろくに勉強もしていない小銭を稼ぐことに精を出している闇医者ばかり、そんな中で助かるはずだった命がいくつ失われていったのかと考えると、心を痛めてしまう。そういうことを考えたら当時の政府が医師養成は急務であると判断したのは、非常に賢明だったと評価できる。というより、それ以前からキチンと医慮とは何なのかというのを考える場があれば、江戸時代のような状況は生まなかったのかもしれない。これらを通してみると、古代から続いていた日本医療のに対しての見方と、徳川幕府による異文化排除などの思想によって日本医療の発展を阻害していたということだろう。

日本の医療史の始まりは・・・。