漢方医達の反撃

西洋医学に対しての宣戦布告

日本医療に歴史的進歩を提供することに成功した西洋医学、登場したことによって無秩序だった日本医療の現状を打開する案を提供し、さらに医制という新しい体制を形成することが出来た。ここまでを見れば明治政府、やるときはやるじゃないかと見直してしまいますが、時代はそう謳ってはくれなかった。医制の導入において医師の質向上を目的とした、医師養成システムを構築して行く中で、医療教育を行う場と免許制が導入されるうになったのは先に紹介したとおりだ。現代に生きる私達からすれば常識的なこととしてみる事はできる、前者に関しては当時の人達も知識を身につける場としては許容できただろう、しかし後者に関して問題が巻き起こった。

この当時から免許を導入することによって、氏名と本籍を内務省に登録するように規定するようになるなど、本来あるべき日本医療の体制を汚染してまで何をしているのかと、当時主流だった漢方医たちが抵抗運動を始めていったのです。それまでの日本において医師として活動していた人間からすれば、政府の横暴さに堪忍袋の緒が切れたといったところだろう。しかしそうした中で真面目に活動している人間よりも、命を軽んじた行いをしていた医師が目に余るだけ存在していた事実もある。抵抗運動に参加していた人々の中には、そうした闇医者たちも存在していたことだろう。これらの問題に対しては、西洋医学を推進している医師たちと、漢方などの伝統的な医療を行なっていた医師たちとの確執が露わとなった。

抵抗した先に、対決する

西洋医学の登場と、それまでになかった医制の設立によって日本医療は進化の兆しを見せることになるも、当時はまだ漢方といった東洋医学が主流だったこともあり、漢方医達のこうした政府への反発を大半の国民達が後押ししていたこともあり、状況は複雑化していった。国民も西洋の訳の分からない医療ではむしろ自分達の健康が害される、そんな風に見ていたのだろう。西洋医学に従事している日本人もいた中で、彼らとしてはこれからの日本には技術と知識、そして体制を整える事は必要なことだと訴えていた。さながら選挙模様を見ているようだ。一向に解決の糸口さえ見出すことの出来ない漢方医たちと西洋医学医たちとの関係は悪化するばかりだったために、政府は両者に対決の場を設けるという手段に打って出たのだ。

この対決のことを俗に『漢洋脚気相撲』と呼ばれる争いに繋がるわけだが、結果として両者共に優劣となる決め手を見出せることが出来なかったために、雌雄を決する事はできなかった。この時漢方医たち側が治療法を公開することに対して抵抗を示したことも影響しているという。

しかしこの治療法に実は秘密があった、というよりもそもそもこの争いには1つの人物の思惑などが絡み合っていたのだ。その当時、漢方医の名医として『遠田澄庵』という医師が名声を欲しいままにしていた。当時国民病の1つとして広まっていた脚気に対して、西洋医学が有効な対策を講じることが出来なかった中で、漢方医として結果を残していたこともあって、澄庵が医師体制の中心に入り込めるかどうかという、重要な局面を迎えていたのだ。その時にこの対決は用意されていたので、その結果次第で澄庵本人が医療の中心に入り込めるかどうか、また漢方医達の力を依然として保てるかどうか、全ては彼1人に委ねらていたのだ。

後に脚気の原因は究明されるので詳しくは省きますが、当時彼が処方する漢方で脚気が治癒されたことで大きく貢献していたのも事実。そして西洋医たちも彼が処方する薬には何が処方されているのか、知りたかった。それは政府も同様だったが治療法公開を渋っていた背景に、その漢方の成分として使用した薬草に秘密があった。西洋医の1人が澄庵と接触して何とか秘薬について聞き出すことに成功すると、その中に洋薬の1つとして知られている『ジキタリス』が用いられていたのだ。これが意味するところは、澄庵自身は洋薬の効能を理解し、そしてそれが実際に効果があるということを把握していたことになる。漢方として考えれば処方は間違っていないが、西洋医学を断固否定した漢方医達からすればこの事実を知られれば、形勢が不利になるのは目に見えていた。そのため、漢方医と西洋医学との争いに終止符を打つこと叶わず、その後へと継続して行くのだった。

結果として、西洋医学の勝利に終わる

その後も相容れること叶わない両者の溝は深まるばかりであったが、政府は西洋医学の導入と医師教育などを始めとした医制を強化を積極的に執り行っていくと、順調にそれまでになかった秩序ある医制が形成されるようになっていった。漢方医たちも必死で抵抗していたが、徐々に勢力図は悪くなる一方になってしまい、必死の抵抗を続けていった。

生き残りをかけた医師試験と医師免許に関する改正を求める運動を巻き起こすも、望み叶わず日清戦争の終結と共に彼らの抵抗は幕引きとなってしまう。かくして永きに渡って繰り広げられた漢方医と西洋医学との熾烈な争いの結果は、辛くも西洋医学に軍配が上ってしまうのだった。彼らからすれば屈辱であり、そして全てを奪われた気分だったのかもしれない。しかし今こうして生きている我々からすれば、西洋医学が進歩して本当に良かったと心の底から安堵してしまうのは、いけないことだろうか。

日本医療の昔と今を考察することで、現代の医療になるまでに相当長い道のりだったことが理解出来る。また特に中世の江戸においては、もはや人の生きるべき環境ではないことだけは断言できる。酷い状況だったが、明治以降において改善されていったことを本当に喜ぶべきだろう。

日本の医療史の始まりは・・・。