奈良時代から生まれた最古の医療史

全ての始まりは仏教からだった

日本においての医療の歴史は何も、西洋医療が入ってくるころに誕生したという浅い歴史というモノではない。それ以前より日本でも医療の原型とも言われる活動が行なわれていたのです。しかしそれらは決して現在のように誰もが身につけられる術ではなく、一定の人間がそれらを学ぶ機会に恵まれていたのです。ただそれでも当時の日本を支えるだけの普及力は備わっており、貴族や庶民など階級に関係なく病魔に冒されていた人々はそうした中で苦しまずに済むようになっていった。

そんな日本の医療発祥を辿っていく中で分かった事は、その始まりが奈良時代にまでさかのぼるということだ。かなり古い時代から医療に関する行いが進行していたことになる、同時に病気に関する知識を学ぶために医療行為を行っていた人々は信仰心を忘れずに活動していた、そんな側面もある。これで分かると思いますが、当時最も医療に従事していた人々は僧侶であり、彼らは宗教的な活動の方針から人々を救済する活動に徹していたのです。これが意味するところは、日本の医療というものが始まったのは当時に伝来した『仏教』が全ての始まりをもたらしたということに注目できるだろう。宗教的な価値観として日本においても一般的なものと進化して行くことになる。しかし何故仏教を信仰して、伝来する役目も担っている僧侶達がそこまで献身的だったのかと気になるところだ。元々仏教の仏典には病気に纏わる示説が多く見られており、その影響もあって僧は病魔に汚染されている人々のために祈祷を始め、薬に対しての知識を得るようになっていったのです。そうした経緯の中で誕生したのが『僧医』と呼ばれる人々であり、現在で言うところの医師のような役職が誕生したわけだ。

日本医療の歴史を見ると、始まりこそ奈良時代にまで振り返ることが出来る。また日本で仏教が伝来していなければどうなっていたのか、かなり恐ろしいところでもあるだろう。

医療を推し進めることになる

仏教が広がると同時に、それまで病気に感染すれば命を落としたも同然だったところに、治す術が来たことでより人々は救われることになっただろう。また当時の政権も医療という技術が登場したことによって、死者の数を少しでも減らすことができるかもしれないという一理望みを持つことが出来たことに違いない。ここから大きく発展して行くことになるのですが、そうした中でやはり障害となったのが、身分的な格差による金銭問題だった。この当時の日本を考えれば分かると思いますが、貴族と庶民では懐事情がどうしようもないほどの差異が顕著だった。当然、裕福な暮らしを過ごしている貴族を中心とした人々は、自分を苦しめる原因を取り除く術を手に入れたことで大いに喜ばしいことだろう。そしてその事実に反するように、医療はあっても薬の代金などを支払う手段がないという状況に苛まれることになる。

当然こうした事態を見逃さなかった人もいる、奈良時代においてその斬新的なアイディアと共に日本史実において非常に有名な人でもあり、頭脳明晰さでも有名だった『聖徳太子』はこの医療に関して政策上推し進めるように取り計らうように取り組んでいった。またそんな聖徳太子を後押しするように当時の聖徳太子の妻であり、皇后でもあった『光明皇后』も貧しい人々が安心して治療を受けられるようにと、治療を受けることが出来る施設建設を支援したのです。

この施設、一般的には現在の病院の原型ともいえるものとなっており、それらが出来たことによって身分に関係なく誰でも医療を受けることが出来るようになっていた。その施設について話をしていこう。

病院の原型ともなった施設

施薬院
730年に建設されたこの施設は、主に病人や孤児の保護・治療・施薬を行っていました。また施設では薬草を栽培しているところもあり、その薬草を持ってして貧しい人々も治療を受けられた施設であり、時には諸国から薬草を献上もあったことが幸いして、庶民に無料で薬草を配布するという取り組みも行われていた。
悲田院
同時期、光明皇后によって施薬院とほぼ同時期に貧しい人々を救うために建設された施設で、日本では大阪に建てられたものの中にある四天王寺の1つとして知られている。またこの悲田院の存在によって、現代の祝日の一つである『敬老の日』が作られたという俗説も残っている。

施薬院と悲田院、これらの施設が登場したことによって多くの人々が病気に苦しめられない医療現場が徐々に構築されていったことに間違いない。また建設に助力した光明皇后が自ら施設に赴き、貧しい人々や孤児たちを看病するなどの献身的な働きを行っていたとも伝えられている。皇后がそのようなことをするというのは中々に想像しがたい場面でもあるが、それだけ当時から病気に感染して苦しんで死んでいく人が、問題とされていたからこそ取り組みに積極的だったと見るべきだろう。また、そんな現実から目を逸らさないでいたことも大きいだろう。見たくないものを見ないで生きる事は簡単だ、特に貴族などの高名な身分となっている人のほとんどがそうした例に当てはまるといえるのではないだろうか。

聖徳太子と光明皇后の働きによって、日本でも段々医療という手段が広がっていくことになる。そしてそれは仏教が国民に浸透すれば浸透するほど、普及して行くことも意味していた。

仏教が伝来する前にも、医術はあった

こうしてみると奈良時代然には医療がなかったと勘違いを招いてしまいかねないので追記しておくと、実際にはそれ以前からも医療なるものは存在していた。しかしそれは現在で言うところの医療とは異なる、いわば呪術を用いたものを利用したものになっている。薬などを用いることもあったかもしれないが、そのほとんどが儀式の折に患者自身には使用されていなかった。体系的な医学は存在せず、むしろ祈祷をすることによって治療を為し得ることが出来ると考えられいたと、今に言わせてみれば何とも非科学的な側面だろう。だが当時はそれを信じていたからこそ、呪術師が存在し、さらにアニミズムなどの思想も広がっていた。宗教的な活動という点では古代から奈良時代まで共通している、しかし大きな変化をもたらしたのはやはり異文化との接触が大きかったということだ。

日本の医療史の始まりは・・・。