鎌倉時代における医療技術

医療は進歩していく

その後仏教を介して医療と言う技術が国内へと浸透していくと同時に、人材育成を行っていこうとする動きも出てくる。その始まりが隋から唐との国交によって、さらに唐における律令制度を参考にした新たな政治体制が取り決められていく中で、医師として活動する人間を官僚の一角として迎え入れようとする動きも出てきたのです。こうした医療に従事した官僚を輩出することを『官制医療』と呼ばれています。ただ一般的な官僚とは異なってあまり身分は高いものではなかったと言われている。政治そのものに関与しないからこその配慮なのかもしれないが、人の命を救う大役を担っている割には冷遇したものと見るべきだ。これでもしも患者が死のうものなら恐ろしいまでの刑罰を下されていたのだろう、そう考えると非常に空恐ろしい限りだ。

朝廷などではそうした官制医療が中心となって生きますが、庶民の生活にはこの頃も変わらず僧侶が中心となって医療行為に従事していました。仏教を信仰していることもあり、人々の命を救うことはむしろ大義名分として叶っているので、そうとしてはこれ以上に神への信仰を捧げる術はないのだろう。医療を行なうことにより貧しい人々でも病気を治す手立てを受けることが出来る、また救済活動を行なうことによって神への奉仕とすることが出来ていた。こう考えてみると非常にバランスの取れた関係性を築いているといえる、見事に出来上がっているものだ。

そうした中、医療は元々大陸の知識と技術となっているのでそれらを更に発展させるためにも、大陸の情報をドンドン国内へ流れていくことになる。その中でも医療行為を行っていた僧侶達は、当時においては最も高名な知識人として知られていたという話も出ている。国内の取り組みが進められていく中で平安時代には大半に医療について知られることとなり、そうすることで大陸の情報もより詳しく記された物が流れ込んでくるようになる。

そうした中で1つの変化を遂げることになったのが鎌倉時代のことだ、では具体的に何が起こったのかを見ていこう。

鎌倉時代の医療について

鎌倉時代は一部では仏教医療の黄金時代とも言える時代でもありました、それが意味する事はこの頃になると医療は日本でもごく一般的なことになりつつあった、ということを意味している。また、医療を受けられるのは貴族などの身分の高い人々だけということではなく、貧しい人達であったとしても医療行為を受診できることも意味していた。こうして考えると今の日本医療の体制はこの頃から、意図的に基盤が整えられていたのかもしれません。信仰心から人々を救うことを当然として行っていた僧侶の存在あってこそ、今の日本医療の環境が作られたといえるだろう。作られるべくして作られたのではなく、することが当たり前として受け取られていたからこそなのかもしれない。こうしてみるとかなり異色な事は目に見えるだろう。

そうした中で鎌倉時代において1つ、医療の現場で大きな節目ともいえる出来事が起きる。それは医療の主軸がそれまで官制医療を中心とした形態だったものが、民間医療へとシフトしたことによって国民にとっての見方も変化して行くことを意味しているのは、何となく理解できるだろう。確かに官僚として医師として活動していた人々の活躍も大きいが、それ以上に仏教を信仰していた僧侶、つまり僧医たちの働きが何よりも大きかったのだ。だからこそ、医療は僧侶を中心とし展開して行くことにより、より多くの人々を救済することが出来ると考えられたのだろう。それを後押しするように、この頃から僧以外が渡航してはならない取り決めも始まり、当時の宋で導入されていた最新の医療を輸入するなどの動きも活発になっていく。まさに全盛期と呼ぶに相応しい出来事だろう、そしてこの発展こそ日本の歴史においてなくてはならない歴史的転換期の1つとも言える。

こうした動きからそれまで宮廷お抱えの医師として活動していた人々は職を民間に奪われたことによって、地方へと仕事を求めるようになった。そうした医師達はその土地で権力を持っている武将などの庇護を受けながら医療を従事することになる。そしてその謝礼として金銭的受諾が行われるようになったという。これが後々に続く、開業医の発祥と言われている。今と昔で考えると、開業医をするきっかけになった理由はそこまで大きな違いはないと見た方がいいだろう。仕事がなくなったから地方へ行って密着した医療を行なって、お金を儲けるというのは言い方は悪いかもしれませんが、常套手段だと言い表すことが出来るかもしれませんね。

普及はしても信じない人もいた

医療という確かな手段が誕生したことにより、それらで病気が完治して元気になった人々はより医療を信じるようになった事は、当時を知らなくても目に見えている。あれほど痛かったのに、診療してもらったらアレほど体調不良だったのが嘘のように回復してしまったと、そう思った人も多いことだろう。それこそ僧医たちが目指していた医療の姿であり、彼らが求めた人命救済と評することが出来る。

しかしどれだけ医療技術が進歩したとしても、そんな妖しの術は信じることはできないとのたまう人もやはりいます。新しいものが入ってきてもトコトン信じないといった原理だと思ってくれればいいが、ではそうした人々は病気はどのようにしたら治ると考えていたのかというと、先に申し上げたように呪術的な方法で解決すると考えていた。今でこそ無理があると思ってくれる人も多いことだろう、しかしそれまで医療というものを知らなかった人間からすれば、自分たちが知る由もなかった大陸の技術を駆使されるなどもってのほかだとそう考えたのかもしれません。

それはそれでいいですが、当たり前ですがそうした環境にいた病気にかかっていた人々は苦しい思いをすることになるのはいわずも知れるところです。昔から何をするにはこれをした方が良いと、迷信が広く普及していたと思います。もちろん中には本当に効くものもありますが、知識的にも進化した現代から言わせればそんなことしたら余計に悪化してしまう、というとんでもない迷信も存在している。

そうした考えを持つことは筆者としても別段悪いモノではないと思うが、何分状態によっては命の危険も掛かってくる人もいるわけだ。僧医として活動していた人々はそのように古い考えに縛られすぎている人々に対してどのように治療を施していたのか。郷には郷に従えというところにある、医療を従事しながらも治療中に呪文を唱えながら行うようにと指導されていたという。異様な光景だ、今でこそ淡々と診療してもらえる中において突然医師が何かの呪文を唱えながら身体を見ていくということなのだろう、気味が悪いのは言うまでもない。

民間主導へと切り替わっていった医療だが、地方によっては独自の医療とした施術法も存在していたため、それらとの折り合いもかなり苦労したのかもしれない。一言述べるなら、呪文を唱えながら診療する習慣が廃れていった事は喜ぶべき点だろう。

日本の医療史の始まりは・・・。