戦場で活動する医師

軍医の原型とも言うべき姿

古代から中世、この時代に医療技術が大陸から流れてきたことによってそれまで治すことが不可能とされていた、ある程度の怪我や病気を治療することが可能になった。そこまではいい、だがこの時代は戦乱とも言える動乱の世界が常に辺りを血と鉄の臭いで満たしていた、戦場模様を写していた。戦うは主君のため、守るべきは愛すべき何かのため、武器を手に、人をあやめるために戦場を駆る武士達は己が命を捨てることさえ惜しまないとして、また1つ鮮血の息吹を大地に残すように戦争を繰り返していた。この頃の日本は各地にそれぞれ国があり、どの地域が覇権を獲得するかで常に争いを繰り広げていた。闘う力は生物の本能なり、そう一言でまとめてしまえればいいが実際の現場は、地獄絵図だ。地獄を知らない人間からすればまさにその通りだと称するという、戦争を知らない人々からすれば知りたくもない現実を、当時の人々は当然のように日常として受け入れていた平穏無事な世界などいつか来るのだろうかと、誰もがそう感じていただろう。

そうした時代の中で、医療を行なうものは非常に貴重な人材だった。だが医師として活動している人々は専用の、傷を治すために用意された施設で治療を行うばかりではない。また治療を施すにしても、患者がそこまで辿り着くことができない危篤の状態ではどうしようもない。ではどうするべきか、当然ながら戦場へと駆り出される事になってしまう。当時の武家社会では戦争を行うのは武士の華として掲げられていたが、医師として活動している人々からすれば戦場をどのように見ていたのだろう。中にはこんなところにくるために医療を学んできたわけではないと、そう心から叫んでいた者もいるかもしれない。

戦場で活動し、戦いによって傷つき倒れた者の治療を行う人々のことを『従軍医師』、または『従軍僧侶』という。分かりやすく言うなら軍医というものが一番近いところだろう、形式的なものは異なるかもしれないが、やはり戦場での傷を癒す役目を担うためにこうした僧侶達が戦場へと出向いていたようだ。それでは、ここからもう少し詳しく考察を入れていこう。

従軍医師の扱い方

ではここから中世における従軍医師というものについての話をしていこう。まず従軍医師とは各部隊において医師が最低でも三人以上配備されるようになっていた。具体的な配役として、『軍医』・『看護師』・『衛生兵』の三つの職で構成された人員が導入されていた。当然ながら彼らが前線に出る事はほとんどないかもしれないが、当然戦に身を置いている以上は死と隣り合わせの状況にいることに変わりはない。また、基本的に部隊の怪我人は部隊の従軍医師たちだけで賄う事は決まりでもある。しかし戦況が混迷した中では、当然全滅まで猶予もないほどに重軽傷問わず、傷を負ったものが増えてしまうこともある。そうした際には他の部隊から応援要請することで対応することもある。また、部隊レベルで対応することができないほどの状態となっている傷病兵については後方へと回して専門的な治療を受けていたというのです。

これが何を意味しているのかというと、このころには戦場において医師をどのようにして活用し、怪我人をどのようにして扱えばいいのかという、戦いにおける医療マニュアルが完成されていた。いかに効率よく戦いを推し進めていけばいいのか、そして傷ついた者達の治療についてもある程度システム化された動きがとられるようになっていった。

しかし、こうしたシステムがいつもうまく作動するわけではなかった。また、当然戦場において常に軍医達が側にいるわけでもない、そうなると怪我をした際にはどうしたらいいのかという問題も出てくる。そちらに関しては、やはり戦場であるために、一定の医療について知識を戦いの前に勉強しておくなどしていたという。そのため、鎧などの持ち物の中には薬を携帯していたというのだから、完璧な布陣とは言えるわけではない。

歴史的な記録を残す絵巻物の中には、武士が仲間から矢を引き抜くような描写も残されている。これが意味するところは、軍医などがいても結局看取れる人間の数などたかが知れているといったところなのだ。その際にもどのように対処すればいいのかを事前に説明されているので、その指示に従って処方を施していた。現場では常に臨機応変に対応が求められていた、そういうことなのだろう。

もちろんだが、これは将が采配ミスを犯したわけではなく、兵法に乗っ取って配置した結果となっている。医療が非常に重要な戦力である事は重々承知していたからこそ、どのようにすればいいのか考えていたのだ。そしてこれが後々戦場においてどのような結果を残すことになるのかも把握していたために、布陣は簡単に決められるものではなかった。またこの配置は軍そのものの運命を左右することになっていたので、配備に関しては機密事項として扱われていたという。敵を叩くのであれば、先ずは戦力回復を目的とした従軍医師から潰した方が早いのは、戦略的に見たらありだろう。それだけ重要だったということであり、また戦力の要であったことも理解出来るところだ。

従軍僧侶は、また違う

従軍医師が配置される事は至極当然のように行なわれていましたが、医療に従事していたのは当時の状況を考察すれば判ると思いますが、僧侶達を中心としている。そしてそんな僧侶達もまた、時には死地へと赴かなければならない事態もあった。ただ戦場へ向かう僧侶とは武家に付き従っている僧侶いるなどしており、そうした僧侶達が戦陣へと向かうことになる。そうした僧侶達のことを『従軍僧侶』と呼ばれている。

従軍僧侶も確かに医療を行なうこともしていたが、彼らにはならではの役割が与えられていた。従軍僧侶とは医療を行なうものであり、そして信仰心を持っている僧侶でもある。つまり、従軍僧侶とは戦場において慰問的役割を果たしており、死体の処理や供養を行なったり、また自分が仕えていた主人の最期を見届けてから、その遺品を遺族へと届けることも僧侶としての役目だった。

傷を治す宗教団体も存在していた

この当時従軍医師や僧侶のように戦場で医療活動を行なっていたのは彼らだけではない、中には戦禍に巻き込まれて重症を負う事になった者も当然いる。軍専属の軍医達はそういった者達の傷を治すまで手が廻るほど余裕はない、そうした中で敵味方関係なく戦場で傷つき倒れている者達を治す為に活動していた宗教団体なども存在していたという。慈善事業といえる活動といえるこれらにおいても活発に行われていた。

今でいうところのWHOの活動内容にどことなく似ているだろう、いつの時代でもこうした平等に医療を施す医師の鑑が存在していたということだ。

日本の医療史の始まりは・・・。

広いリビングで過ごす毎日は最高!NLC http://www.nlc-japan.jp/で広い貸オフィスをたくさんご提案します☆